プロフィール
昭和52年10月14日 東京都荒川区南千住に生まれる

5歳
父の郷里、十日町市北鐙坂に移住
 
鐙島保育園・鐙島小・吉田中・十日町高校を卒業
15歳
父親が仕事中に心臓の病で倒れ、長岡の病院に搬送されるも他界
20歳
有限会社 小山土木入社 現在に至る
21歳
十日町青年会議所入会、自民党入党
28歳
自民党新潟県支部連合会 第38代青年部長
36歳
十日町青年会議所 第58代理事長
 
越後妻有防災ネットワーク協議会設立 初代会長
37歳
日本青年会議所 新潟ブロック協議会 第49代会長
39歳
日本青年会議所 常任理事
40歳
自由民主党十日町支部 青年局長

家族…妻(地元出身)、長男(小4)、長女(小1)

各種団体
現職
(社)DPLS JAPAN(全国災害支援組織)
NPOセーフティネットぼうさい
越後つまり100Km徒歩の旅 実行委員会

これまでに所属してきた各種団体
越後妻有防災ネットワーク協議会会長
新潟県立十日町高等学校学校評議員
新潟県IT&ITS推進協議会
新潟県災害ボランティア調整会議
いじめ根絶新潟県民会議
新潟県青少年健全育成県民会議
北方領土返還要求運動新潟県民会議
(社)新潟県観光協会
北陸地方高規格道路網整備推進協議会
新潟県犯罪のない安全で安心なまちづくり推進協議会
救う会新潟(拉致被害者救出運動)

小山大志とは
 私は、この地では生まれていません。1977年、東京都の下町で生を受けました。風呂もない4畳半の一部屋の中、家族4人で生活し、手をつないで夜道を歩いて銭湯に行き、川の字になって寝る。そんな家族を身近に感じ、温かみのある生活は今でも忘れることはありません。そんな私は、父の故郷である、この地には5歳の時に移り住みました。それまで隙間の無い住宅群と、車の往来が夜もやまない道路しか見ていませんでしたが、この地に移り大自然に感動した記憶が今も鮮明で、四季の移り変わりになると幼少期の頃に感動した自分を思い出します。今思うことは、その感動がこの地を愛することになったきっかけだったのだと感じます。
 ただ、そんな私は、一度、愛を見失います。
 降りしきる、雪を見るたびに忘れることは有りません。
 私が15歳の12月24日に、父は心臓の病でこの世を去りました。当時の十日町病院では対応できなく、緊急で長岡の病院に行くのに3時間もかかり、たった1時間と言う遅れで生きる最後をみとれなかったという、猛吹雪の日の出来事は、私に死というものが、誰かのせい、この地域のせい、だと反社会的の心を宿し、すべてに無関心をという行動を生みだしました。周りには、愛と言うものを、そそぎ続けた人達がいたはずなのに。そのことに気付くのに5年もの歳月がかかりました。時間を取り戻すことはできないが、振り返ることはできる。そして前に進むことも。この地域の抱える問題も同じことです。
 この地域を愛した自分が、地域の為に何かをしたいという気概になることは言うまでもなく、これまでに公の精神で、様々なことに幾度となく挑戦して現在に至ります。

948-0053 新潟県十日町市錦町2-3

© 小山大志